自己肯定感と私 〜part.1〜
こんばんは。
ゆらです。
2記事目。書けてよかったです。
自分、偉いぞ!!!!!
とりあえず褒めてみました(笑)
さて、自己肯定感、自己肯定感言うとりますけど、
『自己肯定感』って何ですの?っていうのを、自分で再確認するお話。
漢字をそのまま読むと、「自分を肯定する事」なのかなぁと思ったり。
最初は、自分が何か「優れたもの」を持っていないと自己肯定感は感じられないと思っていました。
だから、「優れたもの」なんて持ってない自分が、自己肯定感を高めるなんて、自信を持つなんて到底無理だと。
仕事でミスしたり、上手くいかない事があった時も
「私には優れたスキルや能力なんてないし、上手くできなかった…私はダメだ…」
といつも反芻して落ち込んでたし、
人間関係でも
「これを言うと嫌われるかな…相手に嫌な思いをさせるかな…自分が犠牲になればこの場は収まるかな…」
と、長い間言いたい事を全て飲み込んで過ごしていたせいで、そのうち自分の言いたい事が何かすら分からなくなっていました。
そして、落ち込んだまま立ち直れない自分や、言いたい事がまた言えなかった自分に対して「まーた上手く処理できなかった」と自分を責める無限ループへ。
でも、自己肯定感が
『◯◯できた自分を褒める、認める事』
ではなく、
『◯◯できなくても自分を褒められる、認められる事』
『ありのままの自分をこれで良いと思える気持ち』
というものだと理解し始めてから、少しずつ考えが変わっていったように思います。
学生時代、自己肯定感なんてまだ知らなかった私は、ありのままの自分の価値なんて感じられず、
『自分は何かしないと、何か相手のために貢献しないと価値がない』
と強く思っていました。
そんな時に課題として出たグループワーク。
【以下の患者の病態を関連図として書き出し、アセスメントした上でケアプランを考えよ】というもの。
例題患者の情報(年齢、性別、病名などの患者背景)を提示され、
・関連図
・アセスメント
・ケアプラン
をそれぞれ纏めて、後日講義内で各グループ発表する、そんな課題でした。
あ、ちなみに関連図とは以下のようなものです。
これがとってもめんどくさい…
これね、まだ知識もそんなにない学生にとっては、まずは病気のことを知る、調べるところから始まるわけで、かなりめんどくさい大変なんです。
もちろんグループワークなので、講義の空き時間とか、放課後にみんなで集まってやいのやいのやるわけなんですが、やっぱりお年頃の学生たち。
「5時からバイトだから先帰るね〜」
「ちょっとこの後予定が〜…」
ってな具合で、全員が集まることはほぼありませんでした。
そしてそんな中、
「何かしないと自分には価値がないんだ」と思っていた当時の私は…
「いいよいいよ、全部やっとくからみんな帰りな〜」
と、結果全て私一人で課題を終わらせました(爆)
(あれ…今の私の働き方と全く一緒だぞ…)
でも、そういうことでしか自分の価値を見出せなかったんです。
当時はこれでも上手くいってました。
まぁ所詮学生の課題。
ミスしても、失敗しても人の命を奪うことはないし、責任もない。
正直課題の出来は良かったので、凄い凄いと褒められる事が多かった。
でもね・・・やっぱり社会に出てからはそう上手くいかなくなったんです。
その後私がどうなっていったか・・・
それはまた今度の機会にでもm(__)m
うん、今日はとりあえずここまで。
疲れたら一旦終わらせる。
これも大事大事。。。
初めましてとブログを始めた理由
皆さまはじめまして。
ゆらと申します。
今日からブログ始めました。
一応看護師です。働いてます。
自己肯定感底辺な、面倒臭い性格の看護師です(笑)
・自分に自信が全くない
・何かあると全部自分のせいだと思ってしまう
・一度のつまずきや失敗で全て終わったと思ってしまう、変なとこ完璧主義
・自分が我慢すれば、私が犠牲になって事が済むのなら、それで構わない
・極度の不安症、心配性、豆腐メンタル
他にもネガティブ面を書こうと思えば永遠と出てきそうな感じのヤツです。
新卒で入職した病院では、看護師2年目で適応障害を発動。
それから数年経ち今のところ再発はしていないけど、多分再発しそうなギリギリを生きている今日この頃です。
そんな人が何故ブログを書こうと思ったのか。
それは…
「このままだと私の人生同じことの繰り返しだ。何かを変えないと。とりあえず楽になりたい(切実)」
と思ったからです。
なんでこうなったかなーと、まずは過去を振り返ってみることに。
4歳から高校卒業辺りまで父方の祖父母と同居してました。
あ、もちろん私の両親も一緒です。
私が中学入る時くらいから、祖父の認知症が始まり、祖母の急死後一気に悪化。
根っからの頑固&自分が一番&男尊女卑…な部分が、認知症によってより強くなっていったわけです。
昼夜構わず徘徊するし、2階に上がってくるし(祖父母は1階、我々は2階に住んでました)、お風呂覗きに来るし、常に失禁だし、当時はその世話をほぼ毎日母一人で行っていました。
父は専ら仕事人だったので、家のことは全くできず…
まぁ育ち盛りの私と妹と介護費用稼がないといけなかったから、仕事漬けは仕方ないんですが…
そんな父も体を壊し一時休職。
当時私はずっと
「人に迷惑をかけてはいけない」
「いい子でいなくては」
「私だけでもちゃんとしてないと親が大変だ」
と思っていました。
なので、生徒会に入ったり、高校は公立の進学校に行ったりと結構いい子ちゃんしてました。
今振り返ると、この辺りで看護師になることを意識し始めたかも。
といっても、よく聞くような
「認知症の人をケアしたい」「病気の人の力になりたい」ではなく、
「人に迷惑のかからない“ちゃんとした”仕事を選ばなくちゃ」
「女一人でも食いっぱぐれない、資格のある仕事を選ばなくちゃ」
という理由で。
思春期の頃から『ちゃんとしなきゃ!!』ってずっと思ってたんですね。
でも人生ちゃんとできない時もある。
もともとこんな性格(※上記参照)だから、ちゃんとできない毎に「ちゃんとできなかった」っていう喪失体験、失敗体験が増えて、自己肯定感底辺になってしまったのでしょう。
そして社会人になって躓くたび、
「自分を変えたい」
と強く思うようになりました。
これも、最初は
『今の自分はだめだ。自分を変えてもっと“ちゃんとできる”ようにしないと』
と思っていたのが正直なところです。
結局『ちゃんとしなきゃ』って考えが自分を縛ってた事に気付き、後にちゃんとしなくてもいいって思考に辿り着きます。
さて…じゃあ自分を変えるって何!?
まず…現実逃避できるものを探してみました。
でも『自分がやりたい!』って本気で思った事じゃないと、人は続かない。
『現実逃避したいから』なんて始めたものは当然続かないのです。
もともと三日坊主気質だし…(おい)
そんな時に“本”と出会いました。
本なんて中学のときハリーポッター読んでたくらい(笑)
でも、本を読んでいる間は本に集中できたし、その間余計な事は考えなくて済む。
そして何より
『あー、この時の私はこうだったのか』と客観的な視点に一瞬だけどなれました。
(残念ながら今はまだ本を読んだその瞬間だけ客観的になれます…
普段の生活で咄嗟に客観的視点に立つレベルまではまだまだ…)
そんな時ふと思った事。気付けた事。
『私、考え方とか捉え方が極端に歪んでるなー』と。
あともう一つ、メンタリストDaiGoさんのニコニコチャンネルを見つけた事も大きかった(笑)
よし、考えの歪みに気付いた。じゃあどうしようか。
私の場合は
・考え方の癖を変えてみる
→考え方の癖がすごいんじゃ〜(言いたかっただけ)
・行動を変えてみる
・自己肯定感を上げてみる
→自分を褒めてみる。自己肯定感の低い人にとっては凄いハードル高いと思う。
をまず始めようと思いました。
そんな私の記録として、人生のノートとして、いつでも見返せるように残してみようかなと書いたブログがこちらです。
同じような人がいたら、ここにもこんなヤツいるよーと励みにして頂ければ幸いです。
とか言いつつ、雑記とか趣味の事もテキトーに書いていく予定です。
人って浮き沈みがあるから、沈む、落ちるのは仕方ない。
ただ、その落ち幅を狭くしていけたらいいな。
そんなブログです。
【目標】
とりあえずブログ続ける(笑)